『ザリガニの鳴くところ』——湿地に取り残された少女が紡ぐ、孤独と愛と真実の物語

「今日の変な本は『ザリガニの鳴くところ』です」と紹介されたこの作品。たしかに“変な本”という一言では片づけられない、静かで力強い、そしてどこか異質な感触をもつ小説です。

本屋大賞を受賞し、日本でも大きな話題を呼んだ本作は、当初“ミステリー”として紹介されました。しかし、ページをめくるほどに、それだけでは語れない深い世界が広がっていることに気づかされます。


ミステリー、サバイバル、そしてロマンス。三重構造で読者を誘う

物語は2つの時間軸で構成されています。ひとつは、とある男の変死事件をめぐる裁判(Aパート)。もうひとつは、その容疑者として名を挙げられた少女・カイヤの過去(Bパート)。このふたつのパートが交互に語られ、最終的に時間軸が交差する構成になっています。

読み進めるうちに、この物語がただの“法廷ミステリー”ではないことがはっきりしてきます。むしろ根底にあるのは、「置き去りにされた少女の孤独」と「人間社会への不信」、そして「それでも誰かを信じてしまう切なさ」といった、人間の奥深い情感です。


湿地が育てた“もうひとつの命”

カイヤという少女は、家庭からも社会からも切り離され、ただ一人湿地の中で生き延びていきます。彼女の居場所となるのは、広がる沼地、鳥たちの声、泥と草と水の揺らぎ。その自然との共生が、彼女の強さであり、同時に孤独でもあるのです。

著者のディーリア・オーエンズは、実は動物行動学者。生態系や湿地の描写はまさに専門家の筆致で、登場人物の一人として“自然”が機能しているかのような奥行きを感じさせます。


ロマンスは物語の静かな中心にある

物語の中盤から登場するのが、2人の青年との出会い。1人は優しく誠実で、カイヤの心に光をもたらす存在。もう1人は、町で評判の良い顔をしながら、陰で別の顔を見せる“いけすかないイケメン”。この3人の関係性が、やがて深いドラマと真実へとつながっていくのですが……。

恋愛小説として読むこともできるし、逆にその要素を背景として読むこともできる。ジャンルの境界を溶かし、読者それぞれの読み方を許す柔軟な物語構造になっています。


タイトルに込められた、静かな声

『ザリガニの鳴くところ』という不思議なタイトル。この言葉は、作中でカイヤが“誰もいない自然の奥地へ行け”と教えられる言葉であり、「誰もが耳を傾けない場所の声を聴け」という寓意にもつながっています。

ザリガニは鳴かない。しかし誰にも気づかれない静けさの中でこそ、本当の声が聞こえることもある。そんな詩のような意味が、タイトルには込められているのです。


映画化作品について

そして、この物語は2022年に映画化もされています。主演はデイジー・エドガー=ジョーンズ。繊細な演技でカイヤの“語らない感情”を見事に体現しており、原作を読んでいなくてもその世界観に引き込まれます。

湿地の風景が映像として立ち上がったときの没入感は圧巻で、映画は原作の雰囲気を忠実に再現しつつ、映像表現ならではの“余白”も持ち合わせています。

また構成や展開も丁寧に組まれていて、原作の魅力をうまく圧縮しながらも、原作ファンがニヤリとできるようなポイントも散りばめられています。

映画だけ観るのもアリ。でも、原作を読んでから映画を見ると、さらに多層的に味わえる構成になっているので、やはり両方体験するのがオススメです。


まとめ:孤独の中で“自分だけの声”を聴く物語

『ザリガニの鳴くところ』は、ジャンルという枠組みでは収まりきらない物語です。

ミステリーとしても、成長譚としても、ラブストーリーとしても読める。だけど、そのいずれとして読んでも、読後に心の奥底にじわりと染みてくるものがある。それはきっと、カイヤという人物の生き様が「自分の声を失わないことの強さ」を教えてくれるからかもしれません。

69歳で小説家デビューを果たしたディーリア・オーエンズ。その筆は、まさに人生と観察と詩の結晶です。


気になった方は、ぜひ小説と映画の両方を。静かに、深く、何かが変わる読書体験になるはずです。

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