「変な本」と呼ばれるものの中には、物理的な仕掛けやアートブック的なものもありますが、今回紹介するのは、物語が“欠けている”という点で異様な一冊です。
その名も、『ハリス・バーディックの謎』。
ハリス・バーディックとは誰なのか?
物語は本の外から始まります。
ある日、ハリス・バーディックという謎の人物が出版社を訪れ、「私は短編小説を14本書き、それぞれに挿絵も描いた」と語ります。
彼はその中の挿絵14枚と、各作品につけた短いキャプションだけを残して立ち去り、「翌日、原稿を持ってくる」と言い残します。
しかし――彼は二度と現れませんでした。
残されたのは「14の謎」
そして出版されたのが、この『ハリス・バーディックの謎』という一冊。
中身は非常にシンプル。
- 14枚の絵
- 14のタイトル
- 14の短いキャプション
例えば:
- 『絨毯の下』
キャプション:「2週間後にまたそれが起こった」 - 『リンデン氏の書棚』
キャプション:「彼はその本について女の子にちゃんと注意を与えたのだ。でももう遅い」 - 『7つの椅子』
キャプション:「5つ目は結局フランスで見つかった」
どれも意味深な一文と、非常に不思議な世界観の絵。
まるで“書き出しだけを渡された小説”のようです。
キャプション×絵=無限の物語が読者に委ねられる
この本は、文字通り**“未完成の物語集”**。
読者は、わずか1行の言葉と1枚の絵から、想像力で空白を埋めていくしかない。
そのスタイルが「変」でありながら、想像力をかき立て、何度も読み返したくなる中毒性があります。
しかも、日本語版では翻訳を村上春樹氏が担当。訳文のセンスがまた独特で、読者の想像をいっそう刺激します。
そして、14人の作家が“続きを書いた”
驚くべきことに、この“未完の絵とキャプション”をもとに、実際に物語を書いた作家たちが登場します。
『ハリス・バーディックの謎』に触発された14人の著名作家たちが、それぞれのイメージから1本の短編小説を書き下ろした続編プロジェクトが出版されました。
参加作家の中にはなんと――
- スティーブン・キング
(例:『メープルストリートの家』:「それは文句のつけようのない離陸だった」)
という豪華な面々も名を連ねています。
本の読み方が変わる、絵画×言葉の“空白アート”
この本は、単なる絵本でもなければ、短編集でもありません。
むしろ、言葉と絵の最小限の情報から、物語を読者自身に託してくる“参加型アートブック”と言えるでしょう。
キャプションがあることで、絵の見え方が変わる。
文章がないことで、物語を読み手が補完せざるを得ない。
それが、“変な本”でありながら、文学的な強度も持つ一冊になっています。
まとめ:未完成だからこそ想像が走る、“空白を読む本”
『ハリス・バーディックの謎』は、いわば「未完成のまま投げ出された傑作」です。
完成していないことが欠点ではなく、むしろ読者が完成させることを前提とした設計になっている。
- 絵を読む人
- 文章を想像する人
- 世界を補完する人
そんな読者にとっては、一生遊べる絵本になるかもしれません。
『ハリス・バーディックの謎』(原題:The Mysteries of Harris Burdick)
作:クリス・ヴァン・オールズバーグ
日本語訳:村上春樹
出版社:あすなろ書房
初版:2005年(日本語版)